社長のランチ

新宿放送局の食いしん坊社長が区内の社長や有名著名人に出演料も払わずにランチをご馳走になる、前代未聞の番組です。毎週水曜更新で色々なランチを紹介します。

 
 

私のアルバム

2007年05月07日 17:57 by 社 長 カテゴリタグ: 社長の私生活

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上の写真は昭和46年年頃今のテレビ朝日(当時NET)のスタジオで撮ったものです。

漫才師のような若いのが私、当時24歳です。右側の人は故人となられた私の親分・元円谷プロダクション社長・円谷皐さんです。

私はこの年に皐さんが社長をされていた円谷プロの姉妹会社・円谷エンタープライズに入社しました。

会社では社員全員が社長をボスと呼び公私共にファミリー的な雰囲気で仕事をしていました。私は営業兼ボスの鞄持ち&ボディガードみたいなことをしていました。

この写真は当時大人気番組であった「桂小金治のアフターヌーンショー」にボスが出演した折に私がお付で同行したときのものです。

私の入社時は「帰ってきたウルトラマン」が全盛、黙っていても仕事は入ってくるので誰でも営業は簡単に出来ました、というより、逆にスポンサーが何とかお願いしますという、変な営業の時代でありました。私の仕事は、遊園地や百貨店への怪獣ショーや怪獣イベントの売り込み、おもちゃ関連の販売などでしたが、人手が無い時は怪獣のぬいぐるみに入ったり、ショーの司会をしたりしたこともありました。バルタン星人やイカルス星人など軽めの怪獣には何度も入りましたが、ぬいぐるみに入って後ろからチャックを閉められると、自分はそのまま怪獣になってしまうのではないかと変な妄想を感じたこともありました。

ブームが下火になりウルトラマン関連の仕事が無くなると、営業は大変でした。

円谷という名前はとても有名でしたからその分苦労は少ないのですが、捨てられた空き缶を掃除するキャンペーン、アーチェリー場の設計・施工で三宅島に行ったり、ウルトラマンには関係ない色々な仕事を企画して売り込みました。

しかし入社3年後に私は不摂生がたたり肝臓を病み、入退院を繰り返す時期がありました。

当時結婚2年、娘が生まれたばかりで大変な時に病気になったのですが、その間ボスは私達家族の面倒本当に良く見てくれました。 

体は回復し私は会社に復帰したのですが、社員は私と経理とアルバイトの3人という時代がありました。

貧すれば窮する!そんな時ウルトラマン以外の番組を企画してTBS、テレビ朝日やテレビ東京(当時東京12チャンネル)の番組を制作するようになりました。何本か制作したある日の昭和54年、私は大きな勘違をして、大恩ある皐社長に後ろ砂をかけるように会社を去ってしまったのです。

そして前ブログで紹介した番組制作に突き進んで行きました。

残念ながらボスは13年前、60歳で他界されましたが、私が会社を去った後も嫌な顔もせず、たくさんのことを教えてくれました。

ボス命日の6月には毎年当時の仲間が未亡人を囲んで偲ぶ会をやるのですが、その会の幹事だけは私の使命と思いやらせていただいています。

私はボスが亡くなった年齢になり、取り返すことの出来ない後悔の念を感じながらを生きているのですが、今の仕事を成功させることが最大のご恩返しとお詫びに繋がると思い、頑張っているのです。

 

 

 

コメント

  1. T・M

    昔に、お世話になった、人への恩は、今になって、しみじみと、感じられるもんですね。       なんか、暖かくやさしくされた、日々が、思い出され、お礼も、言えず、ただ、がむしゃらに、つっぱしって、来た頃を、なつかしく思うと、熱いものが、こみあげて・・すばらしい時代を、ありがとうと、皆に、叫びたい気持ち、になりますね。

  2. 社長

    いつも前しか見ないで生きてきた私ですが、還暦になってチョット人生を振り返っているのですね。
    私の人生は失敗の連続の上に成り立っているとつくづく思うのであります。

 
 
 

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